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2000年-2010年 バックナンバー

2010年12月29日(水)[日経新聞朝刊] アンリ4世 頭部は本物 仏革命時に盗まれ…流浪200年 パリの男性宅で発見

 1598年の「ナントの勅令」でフランスの宗教戦争を終結させ、現代フランス人に「良王」として最も尊敬を集めるアンリ4世のミイラ化した頭部が、パリで年金生活を送る収集家の男性(84歳)宅で2年前に発見された。法医学者など19人の専門家グループが生前の特徴などから217年ぶりにこの頭骨ミイラを本物と確認し、英医学誌「ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル」に今月発表した。
 死後に防腐処理を施されたアンリ4世の頭部は1793年にパリ郊外の埋葬されていた教会から盗まれ、その後は収集家の手を転々としていたという。

2010年12月27日(月)[PNASオンライン版] ネアンデルタール人歯石の顕微鏡観察で、植物と調理食物が利用されていたことを実証

 これまで肉食に特化していたと考えられるネアンデルタール人が、ある種の調理をして植物食をしていたことを米スミソニアン自然史博物館の人類学研究チームが発見した。アメリカ国立科学アカデミー紀要(Proceedings of the NationalAcademy of Sciences、PNAS)の27日付オンライン版で報告された。
 同チームは、イラク、シャニダール洞窟出土のシャニダール3号とベルギー、スピー洞窟出土のスピー1号、2号の歯に残った歯石を分析し、ここからある種の植物化石とでんぷん粒を顕微鏡で見つけた。それらには、今日でもヒトに利用されているナツメヤシ、豆類、ムギ類の草本類種子が含まれる一方、あまり食用にされていないものも検出された。草の種子のでんぷん粒は、調理に特徴的な損傷も受けていた。
 イラクという温暖な東部地中海沿岸地方でも、ベルギーという寒冷な北西ヨーロッパでも、ネアンデルタール人は様々な食用植物を利用し、しかもそれを食べやすいように調理をしていたことが判明した。彼らの食生活は、これまで考えられていた以上に洗練されていたらしいと推定される。

2010年12月23日(木)[読売新聞朝刊] 現代人の祖先 別人類と交雑 「絶滅させ拡散」従来説に異議

2010年12月23日(木)[朝日新聞朝刊] 3万年前ロシアにいた「未知の人類」 南太平洋と遺伝的つながり

 今年3月10日号の英科学誌『ネイチャー』に報告された謎のホミニン「デニーソヴァ人」は、現生人類ホモ・サピエンスの一部と交雑していたことが明らかとなった。ドイツ、マックス・プランク進化人類学研究所などの国際チームが最新号の『ネイチャー』(10年12月23日号)で報告した。
 シベリアのアルタイ山脈の遺跡で発見されたデニーソヴァ人の小指の骨を使い、細胞核のゲノムの一部を解読し、ネアンデルタール人と世界各地の現代人のゲノムと比較したところ、メラネシア人とだけ、ゲノムの4~6%がデニーソヴァ人固有のものと一致した。
 人類の祖先は40万~30万年前に出アフリカし、ヨーロッパに移動した集団がネアンデルタール人に、アジアに広がった集団がデニーソヴァ人になった。それに遅れて6万年前頃にアフリカを出た現生人類祖先の一部が先住のデニーソヴァ人と交雑し、今日に至ったらしい。
 なおヨーロッパやアジアの現代人の祖先とネアンデルタール人との交雑を示す研究成果は、今年5月に米科学誌『サイエンス』に発表されている。ホモ・サピエンス出現後も異なる人類同士の交雑、共存が一般的だったようだ。

2010年11月26日(金) [ナショナルジオグラフィック公式日本語サイト] 米先住民とヴァイキングに血縁関係?

 今から約1000年前の西暦1000年直前に、アイスランドのヴァイキングが、現在のカナダ、ニューファウンドランド島辺りに植民したことは、歴史的、考古学的に明確になっているが、10年に近い「定住」時にヴァイキング植民者がアメリカ先住民(いわゆるインディアン)女性と交雑したか、本国のアイスランドに引き揚げる際に先住民女性を連れ帰った可能性がある、と「ナショナルジオグラフィック」日本語版が伝えた。
 アイスランドはかつて全国民の遺伝情報を収集したことで有名だが(現在は凍結中)、母系遺伝するmtDNAを解析した結果、4家系80人を超えるアイスランド人が、主にアメリカ先住民由来の遺伝子と類似した変異を持つことがこのほどわかった。いずれも1人の女性に由来する可能性が高いという。
 先住民のmtDNAの遺伝的変異、ヴァイキングがグリーンランドに植民地を築いた時の先住民であるチューレ文化人(先史エスキモー)にこの変異が存在しないこと、小氷期(14~19世紀半ば)が始まって間もなくアイスランドとグリーンランド植民地との交流が途絶えた歴史事実などから、変異が入り込んだのは西暦1000年頃の可能性が高いという。
 なお現在のアメリカ先住民は、アイスランドの4家系とmtDNAの全く同じ変異を持たないが、関連のある遺伝的変異はいくつも存在し、その95%がアメリカ先住民から見つかる。このため、ヴァイキングに遺伝的変異を持ち込んだ先住民母集団は、17世紀に白人植民者が入植後に絶滅したと思われるという。
 この研究論文は11月10日、「American Journal of Physical Anthropology」誌オンライン版で発表された。

2010年10月29日(金)[日経新聞夕刊] 鋭利な石器製造 7万年前から 5万年さかのぼる アフリカから移住 原動力に?

 上部旧石器文化の技術革新である押圧剥離技法は、遅くとも7万5000年前頃の南アフリカで始まっていたらしいことが、フランスのヴァンサン・ムールらの実験考古学的手法で示唆された。米科学誌『サイエンス』最新号(10月29日号)で報告された。
 南アの考古学者クリストファー・ヘンシルウッドらがブロンボス洞窟のMSA(中期石器時代=約7.5万年前)層で発掘したシルクリートという石材製の両面加工尖頭器(槍先)は、薄くて精巧なため、加熱処理した上に、最終段階に剥片を剥がすために動物骨などを用いて剥片を剥がす押圧技法が用いられたと考えられた。
 今回、ムールらはブロンボス洞窟に近いシルクリートの露頭からこの石材を採取し、同じタイプの尖頭器を押圧技法を用いて実験製作し、出来た石器の先端部とブロンボス洞窟で発掘された石器の同じ部分とを顕微鏡観察して比較し、押圧剥離が用いられていたと推定した。
 押圧剥離技法を用いることで、従来の剥片石器よりも薄く、細長く、先端が鋭利な尖頭器が作れた。この発明が約6万年前に現生人類がアフリカから全世界に移住する原動力になったのではないかと、ムールらは見ている。
 なおこれまでにブロンボス洞窟のMSA層から、貝製ビーズなど現代人的行動に関する多数の証拠が見つかっている。

2010年10月14日(木) [朝日新聞朝刊] 縄文前期の人骨 新たに60体発掘 富山・小竹貝塚

 6000~5500年前の縄文時代前期の人骨13体(6月時点)が見つかっていた富山市呉羽町北の小竹(おだけ)貝塚で、このほど新たに60体前後の人骨が発見された。縄文前期の人骨がこれほどまとまって確認された例は珍しい。前期の貝塚での人骨出土例は、岡山市彦崎貝塚の20数体が有名だが、保存状態は必ずしもよくなかった。
 小竹貝塚の合計70体を越える人骨は、頭骨から足先までそろっているものが多いなど保存状態がよい。専門家は、単一遺跡では国内有数の前期縄文人骨コレクションになるとみている。なお小竹貝塚は日本海側では最大級の貝塚として知られ、北陸新幹線の建設工事に伴い調査されている。

2010年8月12日(木) [朝日新聞朝刊] 世界最古 石の道具の使用跡 339万年前の化石 エチオピアで発見

2010年8月12日(木) [読売新聞朝刊] 人類最古の石器使用跡 340万年前地層 動物骨に エチオピア

2010年8月12日(木) [東京新聞朝刊] 人類最古の石器使用跡 340万年前、動物の骨、従来より80万年古く エチオピア

2010年8月12日(木) [毎日新聞朝刊] 猿人も石器使う? 340万年前 動物の骨化石に傷

 エチオピア、アワシュ渓谷のディキカで、339万年前の石器使用の跡が見つかった、と米独の研究チームが、英科学誌「ネイチャー」に発表した。
 見つかったのは、ウシ大の偶蹄目肋骨とヤギ大の同大腿骨で、前者には肉を切り取ろうとしたと思われる二条の平行な長さ1センチ弱の短いカットマーク、後者には骨髄を取ろうとした打撃痕があった。うち1カ所から細かい石の破片も見つかったという。ただしこれらの傷を作った「石器」は見つかっていない。
 顕微鏡観察で、カットマークらしい傷は、骨が化石化する前に付けられ、しかも肉食獣による歯の噛み痕ではないという。
 2つの獣骨は、アルゴン-アルゴン法で342万~324万年前の測定された2枚の火山灰層に挟まれており、層位その他から上記の年代が推定された。
 これまで石器使用は、エチオピアのゴナ地区で最も古いものでは260万年前にさかのぼる石器群が発見され、また今回の発見地近くのブーリでアウストラロピテクス・ガルヒによる思われる250万年前の石器のカットマークなどの付いた獣骨が発見されている。事実とすれば、ホミニンの石器使用は80万年もさかのぼることになる。
 「石器」を使用したとすれば、年代からアウストラロピテクス・アファレンシスと考えられるが、実際、10年前に現場から200メートル近接した場所でアファレンシス女児「セラム」骨格が同チームに発見されている。
 ただ250万年前前後では、エチオピアやケニアで多数の石器産出遺跡が確認されているが、260万年前より以前の例は皆無であり、談話を寄せた科博の河野礼子研究員も「傷の付いた骨が2個見つかっただけなので、人類が意図的に作った石器なのか、常習的に石器を使って肉をはいでいたのか、などはわからない」(朝日新聞)と慎重だ。

2010年7月20日(火)[朝日新聞朝刊] 霊長類の新種化石 2900万年前 ヒトの祖先と分岐前 サウジ

 サウジアラビア西部の2900万~2800万年前の地層から新種霊長類の頭骨一部の化石が発見した、と米ミシガン大などの研究チームが15日付の英科学誌「ネイチャー」に発表した。
 見つかったのは、歯の一部の付いた上顎を含む顔面部の一部。体重は15~20キロと推定されるという。種より3段階上の「上科」レベルで新しく分類され、人類を含むホミノイド(ヒト上科)とオナガザル上科の共通祖先と見られ、サアダニウス・ヒジャビンシスと命名された。
 これまでの研究では、ホミノイドとオナガザル上科との共通祖先はアフリカからアラビア半島あたりに生息し、3500万~3000万年前に分かれたとみられていたが、今回の化石の発見により、それが2900万~2400万年前と、大幅に新しくなる可能性が浮上した。

2010年6月25日(金) [朝日新聞朝刊] 縄文の人骨「性別」語る副葬品 男は石斧・女は石皿 富山・小竹貝塚

 縄文時代前期(6000~5500年前)の貝塚につくられた同じ墓から、 男性が石斧、女性が石皿を副葬されて埋葬されていた例が、24日、富山県文化振興財団埋文調査事務所から発表された。
 見つかったのは、日本海側で最大級の貝塚とされる富山市呉羽町北の小竹 (おだけ)貝塚で、縄文前期の埋葬人骨13体が発掘された。1体は伸展葬、11体は屈葬、残り1体は頭部と脚だけだっ た。このうち2体は、同一墓坑に埋葬されていて、女性遺体は20センチ四方の石皿を抱き、男性遺体は胴体付近に大小7点の石斧が置かれていた。
 縄文の埋葬に伴う石斧は男性の権威の象徴として、調理具の石皿は女性の象徴として副葬したと見られる例が報告されており、同一墓坑に両性の象徴遺物が埋葬されていたのは貴重な例という。

2010年5月30日(日)[毎日新聞朝刊] 国内最古級の土偶 滋賀・ 相谷熊原遺跡 縄文草創期・1万3千年前 竪穴住居跡5棟も発見 定住化と関連?

2010年5月30日(日)[朝日新聞朝刊] 1.3万年前 最古級土偶  滋賀の遺跡 豊穣願い?豊満型 ?

2010年5月30日(日)[日経新聞朝刊] 最古級土偶 優しい姿 滋賀の遺跡で出土 縄文草創期、集落跡も

2010年5月30日(日)[東京新聞朝刊] 縄文草創期の土偶 滋賀  国内最古級ビーナス像か

2010年5月30日(日)[読売新聞朝刊] 縄文女性の美 リアルに  1万3000年前 国内最古級土偶

 滋賀県文化財保護協会は29日、同県東近江市の相谷熊原(あいだにくまは ら)遺跡から縄文時代草創期(約1万3000年前)とみられる国内最古級の土偶が出土したと発表した。三重県粥見井尻(かゆみいじり)遺跡で1996年に2点見つかった土偶とほぼ同時代となる。
 発見された土偶は、高さ3.1センチ、最大幅2.7センチ、重さ14.6グラムと小型。女性の胴体のみを表し、胸や腰のくびれも優美に表現し、欠落のない完形で出土した。また首のあたりに直径3ミリの穴が空けられているなど、縄文中期から盛行する従来型の土偶と異なる様相を示している。
 また土偶は、5棟の連なった住居址群のうち最大の竪穴住居址の床から見つかったが、縄文草創期の竪穴住居も、全国でまだ数例で珍しい。
 土偶の見つかった竪穴住居は、直径約8メートル、面積約50平方メートル、地面から深さ1メートルにも掘りくぼめられていて、遊動生活から定住化へ移る先駆けと評価できる。
 年代は、床から出土した土器に着いていた炭化物の放射性炭素を測定して導かれた。

2010年5月24日(月) [日経新聞朝刊] 「12万年前の旧石器」  7万年前の可能性 砂原遺跡 調査団、幅持たせる

2010年5月24日(月) [朝日新聞夕刊] [朝日新聞夕刊] 日本最古級の石器 製作年 代を見直し 島根の遺跡「12万7千~7万年前」

 昨年9月30日に「日本最古級」と報道され、本欄でも紹介した島根県出雲市の砂原(すなばら)遺跡の旧石器の年代が、その後の調査で新しくなる可能性が生じた。23日、国士舘大学で開かれた日本考古学協会総会で、調査責任者の松藤和人・同志社大教授が発表した。
 松藤教授によると、石器は12万7000年前に形成された上の地層にあり、そのすぐ上に約11万年前の三瓶木次(さんべきすき)火山灰層がかぶっていたと発表していたが、分析の結果、この火山灰層はより新しい三瓶雲南層 (約7万年前)と判明したという。これにより、新しければ7万年前に下る可能性が生じた。岩手県遠野市の金取(かねどり)遺跡(約9万年前)より古いとは言えなくなった。
 また、その後の調査で旧石器の点数は、21から36点に増えたという。ただし、これが人工品であるかどうかには、旧石器学界内でも疑問が提起されている。

2010年5月7日(金)[日経新聞朝刊] 現生人類と混血か ネアンデ ルタール人のゲノム解読 国際チーム、化石を分析 絶滅の謎、解く手掛かり

2010年5月7日(金)[朝日新聞朝刊] ネアンデルタール人の血ヒト にも 国際チームがゲノム解析 5万~10万年前、中東で交わる?

2010年5月7日(金)[読売新聞朝刊] 現代人にネアンデルタール人 遺伝子 10万~5万年前交雑か

2010年5月7日(金)[毎日新聞朝刊] 絶滅ネアンデルタール人 ヒ トと混血? 独米などの研究チーム 3万8000年前の化石 ゲノム解析

2010年5月7日(金)[東京新聞朝刊] ネアンデルタール人 現生人 類 混血あり? 国際チーム ゲノム解析

 現生人類がヨーロッパに進出した1万年以上後の2万8000年前頃にネアンデルタール人は絶滅したが、これまで考えられていた推定と異なり、両者の間にわずかに交雑があったらしいことが分かった。ドイツ、マックス・プランク進化人類学研究所などの研究チームがネアンデルタール人染色体ゲノムを解読した結果を米科学誌「サイエンス」の5月7日号で報告した。
 チームが用いたネアンデルタール人試料は、3.8万年前のクロアチア、ヴィンディヤ洞窟出土の女性3個体化石で、そこから骨片約400ミリグラムを採取し、4年がかりでゲノムの約60%を解読した。その結果を、フランス、中国、パプアニューギニア、アフリカ南部と同西部5人の現代人ゲノムと比較したところ、おおもとのネアンデルタール人祖先が分岐したアフリカ人よりも、それ以外の3地域の現代人の方がネアンデルタール人ゲノムの配列に似ていて、ゲノムの約1~4%はネアンデルタール人由来と推計された。
 これまでネアンデルタール人のミトコンドリアDNAの解析は2桁の数に達し、同時に現生人類(ホモ・サピエンス)化石のものとも比較され、両者に交雑のあった証拠がなく、現代人にネアンデルタール人遺伝子は引き継がれていないという説が有力だった。
 研究チームは、現生人類が原郷土のアフリカを出て、10万~5万年前に中東でネアンデルタール人と出会って限定的に交雑し、その後にユーラシア各地に拡散したため、アフリカ以外の現代人でネアンデルタール人由来の遺伝子が検出された、と推定している。
 またネアンデルタール人と現代人のゲノムの比較から、現生人類に特徴的な遺伝子として、精神や認知の発達、代謝、頭蓋や胸郭の形成にかかわるものなどが見つかった。

2010年4月27日(火) [日経新聞朝刊] チンパンジー亡き子を弔う? 京大など、同じ群れで3例確認 母親、生前と同様に背負う

2010年4月27日(火) [朝日新聞夕刊] チンパンジー母 死んだ子を背負う 弔いの起源?

 チンパンジーの母親が、ミイラ化するまで死んだ子どもを背負い続ける行動が同じ群れで複数例確認された、と京大霊長研の林美里助教、松沢哲郎教授らのチームが27日付の米科学誌「カレント・バイオロジー」に発表した。死を悲しみ、弔う行動の起源ではないかとチームはみている。
 チームが確認したのは、西アフリカ・ギニアのボッソウに住む野生チンパンジーの群れ。ここで京大調査隊は30年以上もチンプ観察を続けてきた。ジレという名前のチンプが1992年に病死した2歳半の子どもを27日間以上、2003年にも病死した1歳の子どもを68日間背負い続けた。同じ群れの別の母親も、死んだ2歳半の子どもを19日間背負った。
 子どもは死後数日で強い腐敗臭を放ち、その後にミイラ化したが、母親は生きている時と同じように毛繕いをしたり、体にたかるハエを追い払ったりして、子どもに愛情を示しているようだった。生きている時と背負い方が違い、「死んだことは理解している」とチームはみている。

2010年4月9日(金)[朝日新聞朝刊] 新種の猿人化石発見 南ア・200万年前の地層 ヒト属と時期重なる

2010年4月9日(金)[日経新聞朝刊] 190万年前の猿人化石 南アで発見 現代人につながる新種? 少年と成人女性

2010年4月9日(金)[毎日新聞朝刊] 南アで新種猿人化石発見  初期ホモ属と骨盤類似

2010年4月9日(金)[東京新聞朝刊] 190万年前の新種猿人 南アで化石発見 現代人への進化つなぐ鍵

2010年4月9日(金)[産経新聞] ヒト属祖先? 新種猿人 南ア 190万年前の化石

  南アフリカ首都プレトリア近郊の洞窟で、190万年前頃の新種猿人の保存良好な骨格化石2体が発見されたとする、南アのウィットウォーターズラント大などの研究グループの研究論文が、8日付の米科学誌「サイエンス」に発表された。
 新発見の化石は、8、9歳前後の少年と30歳前後の女性の2体分で、ほぼ完全な頭蓋のほか、腰、腕、脚、脊椎骨なども見つかった。発見場所は、これまで猿人とホモの化石が多数発見され、世界遺産にも登録されているステルクフォンテイン遺跡群の北北東約15キロのマラパ地区の石灰岩地帯で、08年8~9月に、約195万~178万年前の地層から発掘された。寄り添うような状態で見つかったことから同時代者と見られ、親族同士の可能性もあるとされ、このような保存良好な化石が2体も1度に見つかるのは、きわめて異例だ。
 両者とも身長は1.27メートルほど、推定体重は少年が約27キロ、成人女性が約33キロと小さく、少年の脳容量も420~450㏄と、既知の猿人並みだった。また腕は長く頑丈で、木登りに適応した特徴も備えていたことから、チームは新発見化石をアウストラロピテクス属とする一方、顔や歯が小さく、骨盤の形態から初期ホモ属とも似ていたことから、アウストラロピテクス・アフリカヌスより進化した新種と認定し、ホモ属の源流との意味を込め、地元部族のソト語の「水源」にちなみ、「アウストラロピテクス・セディバ」 という新種を設定した。
 ちなみに南アのこの年代近辺では、華奢型のアフリカヌス猿人が消えつつあり、初期ホモであるテラントロプスが出現する直前に当たる。ホモ属の起源は、これまで東アフリカの250万年前頃と考えられていたが、場合によってはその見直しも迫られる可能性がある。

2010年3月25日(木) [日経新聞朝刊] 4万年前の骨、新種人類 104万年前に枝分かれ シベリアの洞穴 DNA解析で判明

2010年3月25日(木) [読売新聞朝刊]] 3~5万年前「未知の人類」 シベリア 現生人類と共存か

2010年3月25日(木) [朝日新聞夕刊] 「未知の人類」4万年前の骨 シベリアの洞穴で発掘 国際チーム発表へ

2010年3月25日(木) [産経新聞] 4万年前、中央アジアに「未知の古人類」生息 化石DNA分析、国際チーム発表

 ロシア、シベリアのカザフスタンとの国境に近いアルタイ山脈中にあるデニソワ洞窟から見つかった小指の骨小片が既知の人類と全く系統が異なる人類だった、と25日付のイギリス科学週刊誌『ネイチャー』電子版で報告された。
 小指の化石の見つかったデニソワ洞窟は、これまでにも古い例では12万5000年前にさかのぼる石器や骨器などの考古遺物が発見されていた。
 この洞窟での2008年の発掘シーズンでヒトの小指の骨の化石が見つかったことから、この素性を調べるべく、ドイツ、マックスプランク研究所などが究明に取り組んでいた。研究チームは、指の骨から30ミリグラムの骨片を採取し、そこからミトコンドリアDNAを抽出し、塩基配列を完全解読した。
 見つかった地層は、遺物から4万8000年~3万年前と推定された。となれば、人骨は、この頃にはアフリカから拡散してきていたホモ・サピエンスのものか、07年に近くのオクラドニコフ洞窟で発見されたネアンデルタール人かと考えられたが、分析結果はデニソワ洞窟人骨は両者とはかなり異なっていた。ちなみにオクラドニコフ洞窟の人骨も、ミトコンドリアDNAの解析でネアンデルタール人と判定されていた。
 塩基配列の比較からすでにホモ・サピエンスの祖先は、ネアンデルタール人の祖先と約47万年前に分岐していたことが分かっている。しかしデニソワ洞窟人の「ホモ・サピエンス、ネアンデルタール人」グループとの違いは大きく、年代に換算すると104万年前に彼らの祖先は「ホモ・サピエンス、ネアンデルタール人」グループから別れていたという。研究グループは、この骨を「デニソワ人」と名づけた。
 デニソワ人が新種とすれば、03年のホモ・フロレシエンシス以来の新種発見となる。

2010年3月23日(火)[朝日新聞朝刊] 「曹操の墓」の真偽決着へ 曹さん1000人 DNA分析

  中国河南省で陵墓が発見され、そこから発掘された遺骨が昨年暮、三国志の英雄・曹操(155~220)のものと発表された骨の真偽をめぐって、中国全土で大規模なDNA鑑定が計画されている。プロジェクトを立ち上げたのは、上海・復旦大の人類遺伝学者ら。
 中国中から「曹」の姓をもつ男性から血液を集め、墓から出た遺体のDNAと比べて科学的に検証する。漢民族では姓は男系で継承されるため、曹姓の男性は曹操のY染色体を継承していると考えられるからだ。
 計画では、男性の「曹さん」約1000人の血液を集め、Y染色体のDNA配列を調べる。曹以外の姓を持つ男性のデータと比べ、曹一族に特徴的なDNA配列を特定し、墓から見つかった曹操とみられる60歳前後の男性の骨から抽出するDNAと比較する。
 曹操と血縁関係にある人物のDNAと照合すれば、本人かどうかを高い確率で特定できるが、曹操本人や血縁者・子孫のDNAサンプルは残っておらず、通常の鑑定法では検証できないので、こうした方法をとる。
 ただ文献などによると、曹操には記載のあるだけでも20人以上の息子がおり、現在の中国に約770万人いるという曹の姓を持つ人に子孫が多く含まれるとみられる。研究チームは、墓の主が遺伝子レベルで曹一族と確認されれば、墓から出土した考古学上の証拠と合わせて、本人とほぼ断定できるとみている。逆に遺伝子が曹一族と関係なければ、骨は曹操のものではない疑いが強くなる。
 研究チームは、すでに150人分の血液を採取しており、復旦大の李輝・准教授は「目標までの血液採取の見通しが立てば正式に骨の分析許可を当局に申請する。できるだけ早く結論を出したい」と意気込んでいる。  

2010年3月17日(水)[読売新聞朝刊] 伊画家カラヴァッジョ 遺骨確認へ子孫捜し 同姓の住民をDNA鑑定

 今年が没後400年に当たり、バロック時代の先駆けになったイタリアの天才画家、カラヴァッジョへの関心が高まっているが、昨年、画家のものと見られる遺骨が同国内で発見され、人類学者らが本人のものかどうか確かめるDNA鑑定を行って、血縁者捜しに乗り出した。
 カラヴァッジョはイタリア中部で死去し、墓地に埋葬されたとされるが、直系の子孫は残していない。ボローニャ大学のグループが埋葬を確かめるために発掘調査を行い、17世紀に40歳前後で死亡した9体の人骨が生前の画家と骨格が似ていることが分かった。
 その特定のため、研究グループが出身地で画家の本名のミケランジェロ・メリジど同姓の住民6人のDNAを採取し、発掘された人骨と対照する作業を始めた。DNA型の一致があれば、遺骨の特定にいたるという。
 なお画家の最後については、謀殺説や病死説などがある。

2010年2月15日(月)[朝日新聞夕刊] 4000年前の男性 こんな顔? グリーンランド 髪でゲノム解読

 グリーンランドの永久凍土で発見された4000年前の男性の髪の毛から、 ゲノムの約8割を解読することに成功、とデンマークなどの国際研究チームが英科学誌「ネイチャー」に発表した。古代人の大半のゲノム配列が判明したのは初めて。
 試料は、1986年にグリーンランドの遺跡から出土した保存の良い毛髪が使われた。遺伝子を調べた結果、毛髪の持ち主はモンゴロイド系の少数民族に近く、祖先は5500年ほど前にグリーンランドに来たとみられるという。
 遺伝子解析で、男性は褐色の肌と茶色の目をそなえ、耳あかは乾いていてハゲやすい体質だったらしいことも推定された。

2010年2月5日(金)[日経新聞朝刊] 石垣島に2万年前の人骨  日本人の起源知る鍵に

2010年2月5日(金)[朝日新聞朝刊] 「国内最古」2万年前の人骨 沖縄・石垣島 日本人ルーツ論に一石

2010年2月5日(金)[毎日新聞朝刊] 日本最古の人骨 石垣島出土「2万年前」 直接測定 6000年さかのぼる

2010年2月5日(金)[読売新聞朝刊] 国内最古 2万年前の人骨  石垣島の洞穴で発見

2010年2月5日(金)[東京新聞朝刊] 国内最古 石垣島で発掘 2万年前の人骨

 直接、理化学的年代されたものとしては日本最古の人骨が発見された、と沖縄県教育庁が4日、発表した。
 発見されたのは沖縄・石垣島の白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴で、県が整備する新石垣空港の敷地内で、NPO法人沖縄鍾乳洞協会がまず07年に人骨片を発見、09年までに地元の琉球大や東大なども加わったチームが、頭蓋片や脚、腕の骨など合計9点の人骨を発見・採集した。この他に、多数の獣骨も発見されており、さらにまだ多数の人骨が残されている可能性があるという。
 チームは、うち6点を直接、加速器質量分析計にかけて放射性炭素年代を測定し、3点で旧石器時代に相当する古い年代を得た。
 最も古い年代を出したのは、20~30歳代の男性頭頂骨片(約8センチ× 約11センチ)の約2万年前で、人骨から直接、理化学年代を測定された浜北人(浜松市)の1万4000年前を上回った。性別不明の成人中足骨は約1万8000年前、成人男性腓骨は約1万5000年前だった。残る3点は比較的新しく、約2000年前のものだった。
 ちなみにこれまで日本最古と言われる沖縄本島の山下町第1洞窟の骨は3万2000年前とされるが、共伴した炭化物で測定されており、人骨そのものの年代は疑問視されていた。
 これまで日本の旧石器人骨は10例ほどしか知られておらず、浜北人以外の大半は石灰岩の覆う南西諸島出土している。そのため人骨の化石化が進み、保存が良好の半面、人骨の放射性炭素年代測定の試料となるコラーゲンが残っておらず、確実な放射性炭素年代値が得られていなかった。東アジアでも最も保存の良いとされる港川人骨格(港川1号)の場合もまだ理化学年代の測定に成功せず、その年代の1万7000年前という値は木炭による測定だった。

2010年1月21日(木)[ナショナルジオグラフィック日本語版公式サイト] マダガスカルの哺乳類は大陸から漂着

 アフリカ東沖のマダガスカル島に生息するワオキツネザルやオオコウモリといった哺乳類の祖先は、丸太などの漂流物に乗ってこの島にたどり着いたことが最新のコンピューター解析で示された。アメリカ、パデュー大と香港大の古気候学者が、アメリカの科学誌「ネイチャー」の2010年1月20日付オンライン版で発表した。その概要が、翌21日付「ナショナルジオグラフィック日本語版サイト」で報じられた。
 大陸東南部から流木に乗った哺乳類が漂流し、マダガスカル島に漂着して多様な種類に分岐したという仮説はすでに70年前頃に唱えられていたが、大陸と島との間に今は海没した陸橋がかつて存在し、そこを渡って後に分岐進化したとの異説もあり、決着がつかなかった。
 遺伝学的証拠や生態学的証拠から、漂流説の方が合理的だと考えられている。陸橋を渡ってきたとすれば、多様に分岐した原猿類などはいても、ゾウやライオンなどの大型動物の子孫がなぜいないのか説明できない。
 例えば遺伝学的証拠から、マダガスカル島の哺乳類は数百万年の間隔で断続的にやって来たと考えられている。キツネザルがおよそ5000万年前に移動したのを皮切りに、ハリネズミに似たテンレック、続いてフォッサなどマングースの仲間の肉食動物が移動し、最後に齧歯類が2400万年前に来たという。
 ただ漂流説の最大の難点は、マダガスカル島付近の現在の海流と卓越風の向きだ。いずれも東から西に逆方向に向かっており、アフリカ大陸から島へ流木が漂着できない。
 2人は、マダガスカル島周辺の海流が、時間とともに変化したのではないかと仮定を立て、コンピューターでシミュレートしてみた。
 実は5000万年前のアフリカ大陸とマダガスカル島は、大陸移動の結果、現在より約1600キロも南に位置していたという。そこで、古代の地球の海洋データと大気データを最新の気候モデルに当てはめると、当時の大陸と島の付近の海流は、今とは逆に西から東に、すなわち大陸から島に向かって流れていたことが分かった。
 海流が最も速く流れていた場合でも、マダガスカル島に漂着するまで約3週間かかったろうという。小型哺乳類は代謝が低いため、食物や水がなくても数週間は生きることができたはずだと2人は推測している。

2010年1月19日(火)[時事通信配信]7000年近く前に外科手術 前腕切断の人骨発見 仏

 フランス、パリ南方70キロのセーヌエマルヌ県で、左腕がひじ関節上部で直線的に切断され、前腕のない成人男性骨格が発見された。年代は、6700 ~6900年前で、フランスではまだ金属器が使われていない新石器時代に当たる。
 フランス国立予防考古学研究所がエックス線検査などで調べた結果、切断は重傷の男性を救うための外科手術によるものと結論付けられたという。同研究所の人類学者らがイギリス考古学誌「アンティクイティ」09年12月号に発表した。同論文によれば、「フランス最古の外科手術の成功例」という。
 骨格は、05年の砂利採取場拡張工事に伴って発見され、竪穴式の墳墓に埋葬されていた。遺体の歯が抜け落ちているので、高齢だったらしいが、手術後も数カ月から数年間は生存していたらしいという。

2010年1月12日(火)[朝日新聞朝刊] シャベル型切歯の遺伝子 「緑の黒髪」と同じ変異 琉球大など

 日本人の約8割に見られ、東北アジア系集団の特徴である、切歯の裏側の抉れであるシャベル状切歯を作り出す遺伝子を琉球大などの研究グループが特定した。東アジア人の毛を太くする「緑の黒髪」遺伝子と、全く同じ遺伝子の変異で生じていた。
 グループが東京と沖縄の202人のDNAと歯の形を解析したところ、2番染色体上の「EDAR」遺伝子の変異がシャベル状切歯と関連していたことが分かった。同遺伝子は、歯や毛髪などの発生に関与し、特定の変異が東アジア人特有の太い毛に関係することが、すでに3年前に明らかになっていた。
 両者が同じ遺伝子変異であることについて、グループの木村亮介・琉球大特命准教授は「少なくともどちらか一方は、連動して現れる副産物かもしれない」と語っている。

2010年1月9日(土)[読売新聞夕刊] ネアンデルタール人の貝飾り スペインで発見

2010年1月11日(月)[日経新聞朝刊] 貝殻ビーズ装身具作り ネアンデルタール人、現生人類並み知力? 5万年前スペイン

3万年前頃に絶滅したネアンデルタール人は、4.5万年前頃にヨーロッパに渡来してきた現生人類との生存競争に敗れたと見られ、その原因は彼らが現生人類より知力で劣っていたからと考えられているが、英国などの国際研究チームは、スペイン南部の洞窟2カ所でネアンデルタール人の作った貝製装身具などを発見した、と1月11日付の「PNAS(アメリカ科学アカデミー紀要)」に発表した。年代は、5万年前頃という。
 発見されたのは、紐を通すためと思われる穴の開いた直径数センチの小さな貝殻とオレンジ色に彩色された長さ約12センチのホタテ貝の貝殻など。着色材は、赤鉄鉱などだった。ちなみに貝殻の見つかった洞窟は、海岸から60キロ離れていた内陸に位置する。
 研究を主導したのは、ネアンデルタール人の創造性を一貫して主張してきた英ブリストル大のホアン・チルハンで、ネアンデルタール人が抽象的なシンボリズム能力を備えていたという年来の自説を補強したことになる。

2010年1月7日(木)「朝日新聞夕刊」 「生きている男性刺され死亡」→「死後?の女性が数回刺された」〝日本最古の殺人〟解釈一変 愛媛の縄文遺跡・上黒岩 再調査報告

 愛媛県上黒岩遺跡で、1969年に骨製尖頭器が骨盤に突き刺さったまま見つかった約8000年前(縄文早期)の人骨は、これまでの「闘いの被害者」 という見方が再調査で修正された。再調査に挑んだ中橋孝博・九大教授が、国立歴史民俗博物館からこのほど出された同遺跡の調査報告書で明らかにした。
 中橋氏の調査で、これまで男性と考えられた骨器の刺さった骨盤は、骨の形態やサイズなどから、出産経験のある女性だったことが分かった。さらに骨には、もう1カ所、同じような傷が確認され、何度か突き刺されていた可能性が高まった。生きている男性が刺されて死亡したという前提に疑問符が付き、 「女性が何度か刺された。刺されたのは死後の可能性もある」という推定像が出来た。
 報告書をまとめた歴博の春成秀爾・名誉教授は、「病気で亡くなった女性に対する儀礼行為」という解釈を示した。骨が再埋葬であったことから、闘いや事故による死であれば、骨器を抜いてから埋葬したはずで、刺さったままの状況は、意図的なものであることを推定させるからだという。

2010年1月1日(金)[朝日新聞朝刊] 2009年度朝日賞、5氏に贈呈

 2009年度の朝日賞に、本学会の元理事で評議員の諏訪元・東大総合研究博物館教授が、他分野の4人とともに授賞が決まった。
 受賞理由は、「ラミダス猿人など初期人類の進化に関する研究」で、長年、ティム・ホワイト・カリフォルニア大バークリー校教授らとともにエチオピア、アファール地域で続けた初期人類化石探索とその分析の功績が報いられた。ちなみに諏訪氏も加わって昨年、米科学誌『サイエンス』に発表されたラミダス猿人の総合的研究成果は、09年に達成された科学の10大成果のトップにランクされた。
 人類学者が朝日賞を受賞するのは、68年度の今西錦司、伊谷純一郎氏ら霊長類研究グループ、87年度の梅棹忠夫氏らがいるが、形態人類学者の授賞は78年度の金関丈夫氏以来の快挙。
 贈呈式は、1月28日に東京・日比谷の帝国ホテルで行われ、正賞のブロンズ像と副賞(500万円)が贈られる。
 なお同紙37面に受賞者の諏訪氏のインタビュー記事も掲載された。
 諏訪さん、おめでとう!