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日本人類学会事務局
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人類学会の歴史

 日本人類学会は明治17年(1884)、当時東京大学理学部学生であった坪井正五郎ら10名により結成された「じんるいがくのとも」という団体に端を発します。明治19年には機関誌の第1号を出版し、同時に会の名称は「東京人類学会」に変わりました。

「じんるいがくのとも(日本人類学会の前身)」創立メンバー
「じんるいがくのとも(日本人類学会の前身)」創立メンバー(明治17年)
前列左から二人目が坪井正五郎

 黎明期の人類学会では、イギリス留学から帰り、東京大学人類学教室教授となった坪井正五郎を中心に、解剖学の小金井良精、多くの海外調査を行った鳥居龍蔵、軟部人類学の足立文太郎などが活躍し、 土器、石器、動物遺物、人骨、 生体計測、成長、比較解剖学、 考古遺跡、言語、そして有名な日本先住民のアイヌ説、コロボックル説など広範な話題が提供されましたが、これらが後年、考古学会、民族学会、民俗学会などを生み出す母体となりました。

 坪井正五郎は大正になって亡くなりましたが、昭和になると長谷部言人、清野謙次らが登場し、人類学研究はますます広範囲になり、会員も増えました。昭和 11年(1936)には新たに設立された日本民族学会とともに東京人類学会・日本民族学会の第1回連合大会が開催されました。東京人類学会は昭和16年 (1941)、日本人類学会と改称されましたが、連合大会は、そのまま続き、第2次大戦中一時途絶えはしたものの、平成8年(1996) の第50回大会まで、足掛け60年間続きました。連合大会時代には、人類学における自然人類学と民族学は密接不離のもので、人類学者は両方の知識を統合さ せておかねばならないという気風がありました。

 両学会は昭和43年(1968) に第8回国際人類学民族学会議(会長・岡正雄)を東京と京都で開催しました。また、昭和59年(1984)には、日本人類学会の100周年、日本民族学会 の50周年を迎え、第38回連合大会 (大会長・猪口清一郎)において同時に記念式典を行いました。しかし、その後、時代が変わり、学問の細分化がさらに 進んでくると、共同開催の意義は薄れ、平成8年、第50回大会をもって連合大会には終止符が打たれました。その後は両学会とも単独で学術大会を開いていま すが、平成14年(2002) には両学会の協力で国際人類学民族学中間会議(会長・尾本惠市)を開催しました。なお、日本民族学会は平成16年に日本文化人類学会と名称を変更しまし た。

 人類学細分化の傾向はその後も続き、昭和53年(1978)には生理人類学懇話会が人類学会内に作られ、この会はその後、日本生理人類学会と して独立しました。また、京都大学を中心として戦後台頭してきた霊長類学も、昭和60年(1985)に独立した学会として発足しました。さらに平成11年 (1999)には日本人類学会や生物学関連の学会員による学際領域の学会として日本進化学会が設立されました。

 このように、日本人類学会は明治時代に人類学の唯一の学会として発足しましたが、その後の学問の発展、研究者の増加などを背景に、多くの関連 学会を生み出し、日本の人類学研究の中心的役割を果たしてきました。現在の人類学会では自然人類学(形質人類学)の研究者を中心に、人類の起源と進化、変 異や適応、化石人類、日本人の起源、生体計測、歯の人類学、成長、霊長類、生態学など広範囲な研究発表が行われています。

 学会の機関誌は英文誌と和文誌がありますが、ともに平成20年(2008)で116巻となりました。これは学会誌出版当初以来の連続番号です が、途中戦争などで出版が途絶えたことを物語っています。英文誌は国際的にも数少ない自然人類学の雑誌として高く評価されています。和文誌は主として国内 の発掘や日本の人類学のトピックなどを掲載し、会員間の情報交換として重要な役割を果たしています。

日本人類学会は平成21年(2009)で創立125年を迎えます。

なお、学会の歴史につきましては下記の図書が参考になります。

寺田和夫著 日本の人類学 思索社 1975
渡辺直経、香原志勢、山口敏編著、人類学の読み方、雄山閣出版、2001

各学会のホームページ

(文責:金澤 英作)